ルポ・貧困ニュース

現代日本で貧困に苦しむ人の体験談をリポート

「僕は親ガチャに外れた」非正規労働を続けるワーキングプア25歳男性の苦悩

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ワーキングプアと呼ばれる労働者のほとんどが非正規雇用である

 

不安定な日雇い派遣で食いつなぐ日々……

「社員の指示に従って段ボールを運びます。1個5キロくらいかな。それを2つか3つ重ねて持って届け先ごとにまとめるんですが、これが重くて重くて……。でも1個ずつ運ぶと『何ちんたらやってんだ!』って社員から罵声が飛んでくるので仕方ありません。それを何往復もするんです。一日中ですよ」

そう疲れた声で筆者に打ち明けたミノルさん(仮名・35歳)は現在、都内で日雇い派遣をして生活している。

業務内容は日によって変わるが、ほとんどが荷物の仕分けや倉庫整理などの肉体労働だという。
月に20ほど日働いて手取りは16万円ほど。ここから毎日の勤務地へ行くための交通費が引かれ、残った15万円弱でやりくりしているという。

 

「本当に辛いです。幸いコロナで仕事が減るということはありませんでしたが、毎日仕事が見つかるとも限りません。家賃などの固定費はかかるので、仕事が無い日が続くと本当に気持ちが沈みます」

ミノルさんのように派遣会社に登録し、会社から紹介される単発の仕事をして生活する人は少なくない。時給制で残業などの心配はないが、その仕事の多くは肉体的に過酷な単純労働だ。

さらに正社員と違い、仕事が見つからなければ当たり前だが報酬は無し。派遣会社が仕事を紹介してくれるかは景気が大きく関わる、不安定な雇用だ。

さらに東京の賃貸の高さが重くのしかかる。ミノルさんの住まいは家賃5万。築50年5畳1間のアパートはお世辞にも快適とは言い難い。

「東京では住むだけでお金がかかります。しかし東京以外では派遣の仕事が見つかりません。仕方ないですね……」

力のない溜息が、東京の暮らしの厳しさをまざまざと感じさせる。

 

過干渉な親から独立したかった

山形の出身だというミノルさん。

父親は地元企業の部長まで出世したサラリーマン、母親は専業主婦で、そこそこ裕福な家庭だったという。

典型的な地方のアッパーミドル家庭なように思え、目の前にいるワーキングプアの男性とはどうも結びつかない。

「確かに経済的には恵まれていたかもしれません。でも、母親がいわゆる教育ママで。ことあるごとに成績のことや将来のことで叱るんです」

恨めしそうに語る様子から、彼の家庭への複雑な気持ちが読み取れた。

 

ミノルさんの母親は結婚するまで小学校の教員をしていたという。もともと教育に熱心だった母親からの期待を、一人っ子だったミノルさんは一身に背負うことになった。

毎日の宿題は必ず母親と一緒にやらされ、少しでも至らない点があればできるまで寝かせてもらえなかった。

今でも忘れられないのは、小学校4年生の時の授業参観だという。

「登校前、母親から『授業中必ず手を挙げなさい』と言われていました。後ろに母親が見に来てるんだからしないわけにはいきません。でもその日は僕の苦手な算数の授業で、母親が見に来てる緊張もあって全くわかりませんでした。どうしようどうしようと迷い、母親の怖い顔を想像していたら気分が悪くなってしまって、気づいたら倒れて保健室に運ばれていました。

結局母親に連れられて早退したのですが、その帰りの母親の言いっぷりが本当に……。

『情けなくて他のママに顔向けできない』『PTAでの立場がない』って、僕のことも少しは心配してくれてもいいのに……」

 

ミノルさんが中学生になった後も母親の過干渉は続き、その対象は将来にも及んだ。

「とにかく勉強して、良い高校に入って山大(山形大学)に入れと。山大は父の大学です。それで県庁で役人になるか教師になってほしいというのが母の願いでした」

しかし、母親の願いはかなわなかった。

教育熱心も行き過ぎると子供の意欲を損なうものだ。元教師の母親の指導の甲斐なく、中学に入るとミノルさんの成績はみるみる低迷した。

高校受験の際には自宅から最も近い、県内有数の進学校に行くよう指示された。しかしもはや勉強に興味を失っていたミノルさんは受験に失敗してしまう。

結局入ったのは偏差値で大きく下回る私立高校だった。

それを機に、母親の態度が180度変わったという。

過干渉をやめ仲良くなったのかと尋ねると、ミノルさんは首を横に振った。

「いいえ。『アンタに期待した私がバカだった』と言われたんです。完全にもうダメな奴扱いです。ちょうどその頃父親が定年退職して、家にいる時間が長くなった。すると母親が言うんです、あなたが家庭を顧みない仕事人間だからこうなったって。それで両親が僕の前で大喧嘩して……家の中の空気は最悪でしたね」

 

子供の教育の責任を押し付け合う大人を見て、ミノルさんの心は大きく傷ついたことだろう。

過干渉な母親と無関心な父親。ひきこもり・ニートといった人々の両親はこのようなパターンが少なくない。

しかし、ミノルさんはあきらめなかった。自立する道を選んだのである。

高校卒業と同時に上京。両親には相談せず、ほとんど家出同然だったという。

「早く実家から出たいという思いで上京しました。自分には学歴もなにもないけれど、東京に行けば仕事があるだろうと。とにかく親元を離れたい一心で」

そう語るミノルさん。

今も両親とは連絡を取っていないという。

 

労災隠し、契約解除……悪質な企業による搾取

上京し、生まれて初めて自由を得たミノルさん。

しかしすぐに現実の壁に突き当たった。

「部屋が借りられないんです。賃貸契約にはまとまったお金が必要ですし、保証人も必要です。僕はお金も知り合いもいない状態で上京し、その時は知識もなかったので本当に困りました」

住む所もなく、職探しも満足に行えなかった。

高校時代にバイトをして貯めたわずかな資金でネットカフェに泊まりつつ、日雇い派遣を繰り返した。

運悪く仕事が何日も見つからずに手持ちの金が無くなった時は、ホームレスをしたこともあったという。

それでも実家へ帰る選択肢はないのかと尋ねたが、ミノルさんははっきりとそれを拒絶した。

「実家には帰りたくありません。あそこに僕の居場所はありませんから……。東京で死ぬならそれでもいいと思ったんです」

 

ミノルさんはその後、運よく寮付きの仕事にありつけた。

毎朝寮から工場へ出勤し、自動車の部品を作る工員として働いた。仕事はきつかったが、ネットカフェへ払う宿泊費がなくなったため生活に余裕ができたという。

貯金をし、さらにゆくゆくは正社員として登用もあると将来に希望を持つことができた。

しかし、ミノルさんに悲劇が起きる。

仕事中の事故で腰を痛めたのだ。

病院に行こうとしたが、会社側がそれを阻止した。

「病院には行くなと言われ、湿布を渡されました。動けないほどの痛さなのに湿布で治るはずないじゃないですか。食い下がったら、『病院には行っても良いが、業務中の事故だとは言わないでほしい。言う通りにしてくれれば病院代も出す』と言われました。その時はその意味がよくわからずその通りにしたのですが、今になってみればあれは労災隠しですよね」

こういった悪質な労災隠しは製造業で蔓延しており、特にミノルさんのような知識のない若者が騙されるケースが多くある。

結局、ミノルさんは腰の痛みが治らずこの仕事を辞めることになった。

会社からの一方的な解雇だった。

腰の痛みからほとんど仕事ができなくなっていたミノルさんは、交渉せずに辞めてしまった。

その後貯めたお金でアパートを借り、今の生活を続けているという。

「腰の痛みは今は大丈夫ですが、またいつ再発するかわかりません。貯金もありませんし、動けなくなったら今度こそ完全に詰みです」

腰に爆弾を抱え、毎日肉体労働を続けるミノルさん。

その不安が現実となる時、彼は一体どうするのだろう。

 

自分こそ『親ガチャ』の被害者

「こんな不安な生活を送ることになったのは親のせいです」

インタビュー中、彼は幾度となくその言葉をつぶやいていた。

母親はもちろん、自分を理解してくれなかったという点では父親も同様に恨んでいるという。

「親ガチャという言葉が流行ってますよね。まさにあれです。僕はガチャに外れたんです」

そう呟いてミノルさんは押し黙ってしまった。

 

親ガチャという言葉については様々な意見があると思うが、ミノルさんの現在の窮状から抜け出すには一度生活を立て直す必要がある。

安心して帰る実家がある者ならばそれが可能だが、ミノルさんの家庭は安心して帰る場所とは言い難い。少なくともミノルさんはそう思っている。

本人の力だけでどうしようもない時、人は周りへと助けを求める。その際最も気軽に頼ることのできる選択肢の一つが両親であるはずだ。

それができるのとできないのとでは、人生を送るうえで難易度が大きく変わってくる。

このような点だけを見ても、親がその人の人生に全く影響しないとは決して言い切れないだろう。

 

「自分でなんとかするしかありません。親は頼れませんし、頼りたくないですから。自分でなんとかするしか……」

親ガチャと認めたうえで、それを振り払おうともがくミノルさん。

彼の親ではない筆者としては、彼の努力が報われることを願うしかできない。